カルダーノの知について
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概要
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イタリア・ルネサンス後期に活躍した医師・数学者・哲学者・占星術者ジェロラモ・カルダーノ(一五〇一-七六)が抱いた知の概念を、ルネサンス期の知の概念の変遷のなかでとらえてみようと思う。カルダーノには『叡智について』De Sapientiaという著書があるが、本研究ではこれは参考程度にとどめ、カルダーノの『自伝』Depropriaのなかにあらわれた知についての考え方をさぐつていくつもりである。というのはかれの『自伝』はきわめて特異な形式・内容であり、その『自伝』のなかに表現されたさまざまな知を考察していくことで、できればカルダーノの生活意識と知の関係にまで論が進展すれば幸いと思っている。ジェイムズ・オルニィーはその著『自我のメタファー』において自伝を二種類に分類している。ひとつは「ダーウィンやミルニューマンの自伝-自己の過去の自我と現在の自我とを全く切りはなして人生の諸事を語るにつけても、あたかも事後の出来事のように、またそうなりうるように語るもの。つまり遠心的で完結的」。二つめは「モンテーニュやユングの自伝-かれらの自伝は事後の出来事の経過報告ではなく生活の一部であり表白である。さらに生活の一端というばかりではなく生活の象徴的回想や完成における生活の全体である。つまり求心的で生成的」とある。カルダーノの『自伝』の場合はこの二つが混り合っているように思え、その客観的な部分と主観臭の強い部分の融合の有様を端念にみていくとかれの生活意識がうかびあがってくると思われる。わたしはかつてこうも考えたことがある。この『自伝』は端的にいって偉業をかきたかったわけで、偉業とはカルダーノによると種々の名誉を意味し第三十二章で逐一のべられている。その名誉にあたる多数の学問的業績や超自然的な出来事、霊的現象といったわたしたち現代人からみればことごとく異様な事件についてはすべて『自伝』の後半部(第三十七草以降終章まで)にかかれており、前半部(第三早から第三十六章まで)は日常的な事柄にさかれている。しかしながらこの前半部に知の概念が表出されていないとはいいがたく、後半部の学的知とは別な生活の知恵が、また自分の身辺や肉体の特徴を描く即物的な視線がよみとれうる。このようにカルダーノの『自伝』の中に知の概念をさぐるにあたっては、この作品のもつ全体性を考慮せねばならず、後述することになるが、ルネサンス期の知の概念の縮図をまのあたりにみることになる。
- 1983-03-10