フィチーノにおける占星術の問題
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概要
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ある二つの傾向が安易に対比される。ルネサンスに顕著に現われる魔術・占星衝・錬金術のような秘学や魔女熱狂を指して、ルネサンスになお尾をひく中世的現象とする見方は根強い。ある個人の中にそれらへの妄執がうかがえるなら、その人は中世的障壁を乗り越えていない、前近代的な性格や科学思想の持ち主とされる。これに対しカルヴィニズムはただ単に近代資本主義の精神的支柱となったばかりでなく、その教えはそれらの迷蒙から一早く目覚めさせた人々をつくり(魔術からの解放・自由)、やがてその彼らは真の意味での近代精神の担い手となって信仰の自由を獲得し、民主主義思想を形成したのである。ある史家によっては、近代科学の成立にもカルヴィニズムが大いに貢献したのであった。がここ数年の間に相次いで翻訳されたトレヴァ・ローパーの諸論文(「十七世紀の全般的危機」〔『十七世紀危機論争』所収〕。『宗教改革と社会変動』)は、以上のようなカルヴィニズムと近代との関わりに具体例を示して疑問を投げ、その代りにエラスムスの近代への影響を強調している。また一般に中世の科学的世界観の残滓と云われる秘学を打破したとされる科学革命を、彼は十七世紀の全般的勉機という相の下に捉え直そうとしている点が眼をひく(またこれについては我が国でも緻密な論文が出た。佐々木力「十七世紀の危機と科学革命」)。中世・ルネサンスと近代との分岐点に立つ思想家として、また科学革命期の代表格の一人として、デカルトは決して不充分な存在ではなかろう。近代的人間観の真の確立者として著名なこの人は、科学史の中ではガリレイの運動の相対性をさらに明確にし、ニュートンヘつながる一つのリンクであると云えよう。しかし最近訳出されたバイエの著名な『デカルト伝』は、今日の我々から見ると思いがけないデカルト像を提供してくれる。それによるとドイツからパリに戻ってきた彼に、薔薇十字団の噂が流れたと云うのである。これについてはイエーツが例によって巧みにTHE ROSICRUCIAN ENLIGHTENMEZTの中で史的文脈の中に位置づけている。十七世紀のはじめ、三十年戦争の前夜現われた薔薇十字朗の文書がドイツのプファルツ伯領で出版された。それは政治的にはジェームズ一世の娘と選帝侯プファルツ伯の結婚を機に、新教徒側に盛り上った改革への期待へとつながるが、思想的にはフィチーノ・ピコ以来のヘルメス的・カバラ的伝統に遡及できるものである。これらの伝統にのっとった神秘的・宗教的作品は、自然魔術の一大流行を十六・七世紀にもたらしたのみならず、事実観察による自然への新たな接近を促進したことで知られる。薔薇十字団の運動は、彼らイタリア人の業績にアグリッパやパラケルズスらの錬金術が加味された、眼に見えぬ人々の運動であった。この運動の先駆者としてはエリザベス朝期のジョン・ディーの名が挙げられよう。彼は近年迄正当な評価を受けることができず魔術師として有名であったが、一五七〇年のユークリッドヘの数学的序文は数学を自然科学の基礎と位置づけたとして彼の再評価が始まっている。また彼の魔術は黒魔術ではなく、シェークスピアの『テンペスト』の主人公プロスペロの行なった白魔術であり、プロスペロのモデルとすら擬されている(FRANCESA.YATES, SHAKESPEARE'SLASTPLAYS)。またこの運動の代表的人物はヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエであり、あの不幸な時代に生を享けなければゲーテに比肩される文学者になったであろうと評されている。科学革命期のもう一人の大立物、古典力学の完成者ニュートンに関する著書(島尾永康『ニュートン』)も、バイエの翻訳と前後して現われたが、この本から、彼が変わらぬ関心を抱いていたのは何よりも錬金術であり、しかも65万語にのぼるこの手稿を彼は決して公刊しなかった事実を知ることができる。また彼の古代への関心は、ケンブリッヂ・プラトニストを経て伝わった、フィチーノ以来の「古代神学」の考えが根底にあるように思われる。従来科学史の発展段階説として秘学から科学へということがしきりに云われた。この場合秘学は科学によって捨てられる運命にある前近代的な遅れた科学であると考えられている。とすれば、個体発生は系統発生を繰り返すというヘッケルの原則に因めば、ニュートン個人の中でもこれが繰り返されただけにすぎないのであろうか。しかし錬金術への彼の関心は、数学、光学、動力学のいずれよりも長い期間にわたっている。従って歴史研究者には新しいものと旧いものとを識別することは大事な観点ではあるが、ルネサンス-私は時代的には十四世紀中葉から十七世紀までを考えている-にあっては特に、神秘的なものと科学的なものとが二つとも一人の著者の作品に現われている時、それらを切り離さぬことが肝要であろう。そうしなければ時代の知的雰囲気はいつまでも正しく理解されえないであろう。他方蝿
- 1982-03-20