フィレンツェ方言の歴史的一考察
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概要
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フィレンツェ方言が、フィレンツェの生んだTrecentoの三大作家たちの作品を通して、イタリア語の文学語(lingua letteraria)にまで高められたことは、イタリア言語史上議論の余地のない事実である。その後フィレンツェ方言は、地理上の好条件と当時の文化的・政治的隆盛が、幸いし、イタリア全土に普及されることになる。フィレンツェ方言が、文学語の基礎となっている事実を証明するには、音声・形能についての二三の特色を観察すれば、足りよう。(1)n, l', skj二重子音プラス硬口蓋音、子音プラス軟口蓋音に先き立つ俗ラテン語のeとo(lat.class.e, l, o, u)が、フィレンツェ方言(従って文学語)では、iとuになる。それに対し、トスカナ方言を含める他の諸方言では、eとoを保っている。たとえば、famiglia<lat.volg.^*famelia, lat.class.familia;mischia<lat.volg.^*mescl'a(t), tard.lat.misculat;vince<lat.volg.venci(t), lat.class.vincit;pugno<lat.volg.^*pognu, lat.class.pugnu(m)ecc.(2)-r-から-i-への変化、たとえば、area(aria)<aia;morio(r)<muoio;-arius<-aio;paria<paia ecc.(3)一人称複数の語尾が、直接法現在ですべての活用形を通じて、-iamoとなる。ラテン語では、四種の活用形が、それぞれ異った語尾を持っていた、(-amus, -emus, -imus, -imus)。古代イタリア語でも次の三つの形を区別していた〔-amo(cantamo), -emo(potemo, avemo), -imo(udimo)〕。十三世紀のトスカーナでは、第一活用の-amoがしばしばみられ、第二・第三活用の-emo第四活用の-imoは、更にしばしばみられた。しかし、新しい形の-iamoが、すべての活用形にあてはめられ、普及していった。この形はフィレンツェもしくは、フィレンツェの周辺から起った革新で、おそらく、siamoの形に対するanalogiaにもとづくものと思われる。こゝにかゝげたフィレンツェ方言の特長は、ラテン語に対してむしろ革新的な要素であるが、フィレンツェ方言(ひいては文学語)を綜合的に考察する時、最もいちじるしい特色として捉えられるのは、ラテン語に対する保守性(conservativita)という事実である。他のロマン諸語、もしくは他のイタリアの諸方言と比べると、このラテン語からの継続状態が、次の諸特長においてうかゞわれる。(a)アクセントを持つ母音の保存。開母音e, o(lat.e, o)は、閉音節では、そっくり保たれ、(sette, corpo)開音節では、二重母音化する(lieve, nuovo)。(b)語未母音が、他のロマン諸語、イタリア諸方言では、弱まったり、脱落したりしていちゞるしい変化をこうむっているのに対し、こうした変化からまぬがれている。(c)後から三番目のアクセントが、保存されている。(d)ラテン語の長子音、いわゆる双子(ふたご)子音、もしくは二重子音の保存(cappa, fiamma)(e)母音間の子音が、他のどのロマン語よりも忠実にラテン語の音声を反映している。〔これに対し他のトスカナ方言では、たとえば、fatiga(fatica), siguro(sicuro)ecc.〕(f)ku(qu)とguの唇音的要素の保存(cinque, lingua)このいわゆるconservativitaは、はたしてラテン語からの絶え間ない継続状態なのであろうか。通説のごとく、フィレンツェ方言は、はたして、その本質的な天与のvirtuによって文学語の権威にまで高められたのであろうか。イタリア語の手引きには、これらの事実は、わかり切ったことゝして、宿命的なものであるかのようにさえ取り扱われている。ところがフィレンツェ方言の前史、およびフィレンツェの前史を見直すことにより、この想定が、現実からはほど遠いものであることが、明かにされるのである。
- イタリア学会の論文
- 1969-01-20