タッソの「解放されたイエルサレム」にみられるmagiaについて
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概要
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古典ギリシヤ・ラテン時代から、magiaの伝統は古く異教的なものとして、特にキリスト教世界に好奇心を起させ続けてきた。OvidiusやApuleiusにみられるmetamorphosesの現象は一種のmagiaによるものであり、特に後代のルネサンス・イタリアにおいては珍奇なものとして、文学作品には不可欠な要素の一つとなった。就中十六世紀に至ってからは、イタリアと中近東及び北アフリカとの交通の便利さと、貿易の拡大にともなって人の往来も烈しくなり、異教のサラセン文化への魅力が一般に高まってきた。この頃に活躍したTassoもこのmagiaに異常な関心を寄せ、その作品の随所にとり上げ描写していることも、異教的なものに対する彼の一種の憧憬と一致していて注意に価するものがある。一五七五年にようやく完成した彼のGerusalemme liberataの中にもこの場面が多くみられ、それは騎士叙事詩の舞台構成にむしろ役立ち、magiaについての彼の考え方を暗示している。英雄詩の先駆者達がTassoに強く及ぼした影響は彼をしてmirabileともいうべき超自然的な題材にとりくませる結果となった。自己の詩作に際して、この素材をとり入れることに多少の不安や観念を感じていたとしても、彼はそれを克服しうる才能を充分に持ち合せていたのである。異教的な素材自体は騎士叙事詩には妥当なものであったし、Tassoが好んでいた激しい幻想に自己を陶酔し楽しむ機会を与えた。彼が異教的なものに段々傾倒するに従って、正統派をもって任ずる文学者や批評家の反感をかった。つまりmagiaは英雄詩にとっては適当なものではないことを主張したばかりか、教会側としては、このようなものは不敬極まるものであるという見解を下していた。かねがねTassoは先輩のAriostoを見習うことや、当時の大衆の興味に合うようなものを作成したいと望んでいた。この時代のmagiaに対する観念は明確でなく、単純に異教的なもの、邪悪なものであるとしか考えられていなかったようである。この時代思潮の背景からTassoは自己の趣向と型に合致する詩を抽出したのである。Boiardoにみられるmagiaは、どちらかと言えば、面白く娯楽的であり、Ariostoにおいては、ときには楽しく、またときには戦慄を覚えることさえあるが、いずれにしても両詩人ともこれを通じて人生の真髄に触れてはいないし、実際の体験に密着した心理描写も行われていない。この点でTassoのものは異彩を放っていると言えよう。それは恰もそのmagiaの中に自己の挫折した経験や、遂げえなかった欲望を不合理な恐怖や果てしない幻想と絡み合わせているかのようである。彼はこれを人間の生活に関係づけ、心理的なものを加味して、その変化を刻々と迅速に描き、その迫力は読書を惹きつけずにはおかない。そこでGerusalemme liberataに現われるmagiaの表現とその意味について検討してみよう。先ず、msgiaがepisodioに密着している場面が多くみられるが、これらは集中的にCanto一三、一八、一四、一六、一〇などに現われ、いずれもmagiaが根底となって物語を構成している。特に顕著なのはCanto一三の一〜五二とCanto一八の一〜三八における描写である。これらを総括して特徴的に分類してみると、二種の型に分けられる。即ちClorindaに関するものとArmidaに関するもので、ともに異教の女である。しかも恋する相手それぞれTancrediであり、Rinaldoであって、キリスト教徒の代表的男性であることも、Tassoのパラレル手法を理解する意味からも面白い。
- 1964-01-20
著者
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