耐火煉化石試験報文
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概要
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日本における鉄鋼業の発展は, 1901年の官営八幡製鉄所の創業に始まり, 20世紀は鉄の生産とともに経過してきた.この鉄鋼業を支えたのが耐火物であり, 耐火物技術の発展の世紀でもあった.我が国の誇れる耐火物技術の術徴は, 使用環境に合わせた耐火物評価をユーザーである鉄鋼メーカーとともに徹底的に議論して材料を設計したこと, 品質の安定性を極めたことが挙げられる.このような耐火物の発達に大きな貢献をしたのが, 本論文である.論文では, 国内外から39種類の煉瓦を収集し, 物理的性質, 化学分析, 耐火度, 耐スラグ性を調査し, 調査方法と結果を整然とまとめている.特筆すべきことは, スラグと耐火物の反応について評価試験方法を欧米に先駆けて発表した点であり, 当時の耐火物単体での評価から脱皮した優れた着想である.また, 論文中に「熾熱」という言葉が如実に表現しているように, 温度計測技術が発達していない当時では, 耐火物の評価がいかに難しいものであったことが理解できよう.この論文は, 現代の耐火物技術に大きな影響を及ぼし, 鉄鋼業の発展の礎を築いたことはいうまでもない.大日本窯業協会の前身として明治24年10月に窯工会が結成され, 同25年6月に改組, 協会雑誌としては, 同年9月に第1号が発行された.この揺籃期の大日本窯業協会では, 初代品川弥二郎子爵, 二代榎本武揚子爵, 三代金子堅太郎伯爵を会頭に擁し, 現在の会長にあたる乗務員は, 中沢岩太氏が務められました.本論文の著者である高山甚太郎博士は, 協会創立以来評議員として活躍され, 明治31年に常務委員に就任し, 逝去される大正3年10月まで, 3期17年努めた本協会の重鎮として, 協会の発展に尽力されました.高山甚太郎博士は安政4年(1857)に生まれ, 加賀大聖寺藩士族の出身で, 明治11年に東京大学理学部を卒業し, 準教授を経て同12年に農商務省地質課(明治15年に独立して地質調査所)に入所され, 化学分析を担当されました.研究対象が, 陶器, 粘土から耐火煉瓦に移っていき, 研究成果として数多くの論文を発表されております.一方, 共著者の香村小録氏は, 当時地質調査所で高山甚太郎博士の後輩として共に研究され, 後年, 釜石鉱山田中製鉄所の技師長として活躍され, その後の耐火物技術発達に多大な貢献をされました.
- 2000-02-01
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