蘇軾の詩における詩僧の評価について : 釋道潜を中心に
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概要
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宋代において詩の主要な作り手であった士大夫たちは、僧侶たちと親しく交遊し、そのなかで数多くの詩文が制作された。北宋中期の代表的な士大夫のひとりである蘇軾もその例に漏れず、その生涯を通じて何人もの僧侶との交遊を続けているが、それらの僧たちのなかでも特に長期間に渡って交遊し、数多くの詩文や書信を応酬しあった相手として釋道潛を挙げることができる。知徐州期の蘇軾は、初対面の道潛に贈った「次韻僧潛見贈」詩で、禅僧としての道潛に敬意を表する言葉を連ねつつ、その一方で、詩人としての道潛に対して、詩人としての心のはたらきと禅の理想とする平静の境地との間の矛盾を指摘し、禅僧にしてかつ詩人であるということが可能か否かを問うている。蘇軾のこのような問いは、当時の彼が続けていた、様々な差異を持った外界の事物が与える刺激から自らの精神の平静を如何にして守っていくかという一連の思考と深く関わるものと考えられる。また蘇軾は、後に同じく道潛に贈った「送參寥師」詩でも、この僧侶の試作の可否に関する考察を継続して展開し、ここでは、僧侶の試作に対するイメージが、一般的には内面的な清澄さの結果としての「清」に集約されるのに比して、道潛の場合は、彼の精神の平静さが、豊かな力強さに満ちた詩句を生み出す源泉となり得ていると述べている。蘇軾は初期の「南行前集叙」等において、彼自身の詩文に関して、文学作品は作者の豊かな内面的情動が外面へ発露したものであるという考えを述べているが、道潛の詩作に対する理解はこれに対して、諸々の変化に富んだ外界の現象を、単一の平静な内面に取り込もうとするものであり、反対方向の動きを持つものである。このような発想は禅的な思考の影響を強く受けたものだが、後年の蘇軾はこのような詩作のありかたを彼自身の詩作にも取り入れていったと考えられる。
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三重大学 | 論文
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