昭和初期における長瀞校を中心とした想画教育について I
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概要
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はじめに 我国の主な美術教育思潮を概観するとき,明治末期, 白浜徴,小山正太郎の新宝画帖,大正末期~昭和初期,山形県の自由画教育運動および戦後,久保貞泊恥北川民次らによって提唱された創造美育運動をあげることができる。即ち従来の図画教育教科書の毛筆画帖(日本画)と鉛筆画帖(西洋画)の区別をなくし,新しい図画教育を目ざした新定画帖は,白浜,小山が欧米の美術教育視察後の考えに基づいて編纂されたものである。また大正8年,山本鼎の自由画教育運動は,ロシアで児童画と農民美術に接し,大正デモクラシーの思想や児童中心主義的教育思潮と相俟って,従来までの臨画・模写を主体とした図画教育に対して,児童の自由な創造性をとらえる美術教育を主張したものである。次に戦後の創造美育運動は,欧米の児童画にみられる創造的で自由に自己主張しているのが日本の児童画には見られないということで,子供の表現活動を大人の抑圧や権威からの開放を唱ったところに特徴がみられる。しかしこれらの三つの美術教育の思潮は,いずれも画家や美術批評家らが諸外国の美術教育の実状に触れ,子供の絵に感動し,我国の美術教育との比較のなかで各々の運動を展開したものである。ところが昭和初期に,実践的な教育の場から起こった想画教育運動というものがある。この想画教育の起りは,昭和初期の文部省制定の図画料教授領域として明示されている思想画に基づいているのか,あるいは,山本県の自由画教育の思想を受けついだものと考えられるが,少なくとも想画教育は,進歩的な画家や批評家など,個性的で強力な指導者によって誕生したのでなく,教育の現場から良心的な教師たち自らの実践的活動を通して次第に台頭してきたところにこの教育の意義があり,注目しなければならない。この論文は,貴重な資料の残っている長瀞尋常高等学小学校(現在東根市立長瀞小学校校)の想画教育を中心に,昭和7年発行の想画(中西良男著),農山村図画教育の確立(育木実三部執復刻版)を通して昭和初期の想画教育について考察を試みるものである。
- 1989-01-20
著者
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